三垣宗純殺害事件 連絡用サイト



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たったいまログインを確認しました。
依頼をお引き受けいただけたこと、心より感謝いたします。
このサイトは、ハッキングの兆候を感知し次第、データが消去される仕組みになっているので、どうぞ安心してお使いください。
先般お送りした捜査資料一式は、お手元にありますでしょうか。私が警察から入手した資料は、すべてあのフォルダに入っています。どうかお目通しください。

資料によると、殺人が行われた夜、被害者の部屋に入った人物は誰もいません。
しかし誰かが嘘をついており、その人物こそが殺人犯である可能性が高いと思われます。
犯人の痕跡は、きっとどこかに残されているはず。
最初にあなたのお知恵を拝借したいのは、犯人の痕跡を見つけるため、まずは何に注目すべきなのかという点です。
それについて、お考えをお聞かせいただけますでしょうか。
ご連絡の際は、サイトの小窓に「EVIDENCE」とパスワードを打ち込んで、私にメッセージを送っていただければと思います。

立花未知留

封筒を開封し、中身を確認してから捜査を進めてください。

※初版(赤いインビテーション用紙の左上に「第●版」の記載がないもの)をご購入の方へ

封筒のベロの裏にある「捜査資料の中身」に表記の誤りがありました。
(誤)検死調書→(正)検視調書
お詫びして訂正いたします。(編集部)

犯人の痕跡を見つけるため注目すべきものは である。


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送信済み

資料のコピーを見直したのですが、おそらくそれは違うのではないでしょうか。

立花

最初に注目すべきは、指紋ですか?
殺害現場に残されていた指紋は、被害者のもの、瀬田浄真さんのもの、そして不鮮明なものでした。
この不鮮明な指紋が、もし被害者や瀬田浄真さんのものでなければ、その指紋の主こそが現場に入った人物ということになりますね。
では、いったい誰の指紋なのか
それを特定するには、すべての捜査資料に目を通す必要がありそうです。
時間がかかってしまっても構いません。もし指紋の主がおわかりになったら、このサイトの小窓に「INTRUDER」と入力し、その人物の名前と、それを特定できる証拠となるものをお教えいただけますでしょうか。

立花未知留

証拠①:侵入者の指紋はおよびに残されていた。

証拠②:その指紋の主はである。


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送信済み

資料のコピーを見直したのですが、おそらくそれは違うのではないでしょうか。

立花

私もいま資料のコピーを見直しました。絵本と写真に残されていた指紋は、たしかに滑川友梨香さんのものですね。
ただ、当時の状況を正確に把握するため、もう一点だけ教えていただけると助かります。床に落ちていた写真は、もともと絵本のどこに置かれていたのでしょうか?

に置かれていた。


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送信済み

私も検討しているのですが、おそらくそれは違うと思います。

立花

被害者の日記を読むと、たしかに写真が置かれていたのはその場所のようですね。
素晴らしい推理です。今回の件をあなたに依頼したことは、やっぱり間違っていませんでした。事件解決に向けて、引きつづきのご協力を是非ともよろしくお願いします。
私はこれから滑川友梨香さんに会い、じかに話を聞いてきます。彼女がなぜ被害者の部屋にいたのか。どうして絵本や写真にふれたのか。
何かわかり次第ご連絡しますので、しばらくお待ちください。

封筒Aを開封し、中身を確認してから捜査を進めてください。

証拠①:
から、この写真の撮られたのが 年であることがわかる。

証拠②:
の記述から、写真に写っている子供は、当時 歳である可能性が高い。
この2つの条件から、写真の子供は であることがわかる。


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送信済み

資料のコピーを見直したのですが、おそらくそれは違うのではないでしょうか。

立花

封筒Bを開封し、中身を確認してから捜査を進めてください。

浄真はに残されたした。

凶器とはである。


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送信済み

なるほど、真相が見えてきた気がします。でも、凶器とはいったい何ですか?

高尾

何度も資料のコピーを見直してみましたが、どうもそれは違うように思います。

高尾

私も資料のコピーを見直してみましたが、どうもそれは違うように思います。

高尾

なるほど、浄真は凶器となった仏像を本堂で燃やしたというのですね。
いま捜査資料を見直してみたのですが、丸尾武彦の証言にも、これでようやく合点がいきました。早朝の本堂が暖かかったこと。また、いい匂いがし、それが羽田鳳来の匂いと同じだったこと。
羽田鳳来の供述によると、彼女が持ち歩いていた匂い袋は白檀の香りでした。白檀の仏像を燃やした本堂にも、同じ匂いが残っていたのだと思います。
私のほうは、これからすぐにまた浄真のもとへ向かいます。彼はいったい何故、凶器を燃やしたのか。それを問い詰めてくるつもりです。

高尾

封筒Cを開封し、中身を確認してから捜査を進めてください。

※初版(赤いインビテーション用紙の左上に「第●版」の記載がないもの)をご購入の方へ

初版時「刑事からの手紙」1行目の刑事の名前に誤りがありました。正しくは「高尾克也」です。お詫びして訂正します。(編集部)

三垣宗純を殺害した真犯人はである。


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送信済み

何度も資料のコピーを見直してみましたが、どうもそれは違うように思います。

高尾

増山昭江が三垣宗純を殺害した真犯人だというのですか? いったいどの捜査資料からそう判断されたのか、お教えいただけますでしょうか。私もすぐに資料を確認し直します。

高尾

該当する資料3つにチェックを入れ、送信ボタンを押すこと。

雑誌記事のコピー(COLD CASE FILES)
雑誌記事の切り抜き(NEXT STAGE)
境内案内図
真呼吸の会予定表
真呼吸の仲間たち
検視調書
実況見分調書
証拠物件No.22(QRコード)
殺害現場の写真
殺害現場で検出された指紋(襖)
殺害現場で検出された指紋(文机)
動物絵本の指紋
床に落ちていた写真の指紋
三垣宗純の日記
供述調書(羽田鳳来)
供述調書(滑川友梨香)
供述調書(丸尾武彦)
供述調書(宗谷大輝)
供述調書(瀬田浄真)
供述調書(増山昭江)
立花未知留からの手紙
立花未知留の取材メモ(滑川友梨香との会話)
滑川友梨香の動画
新聞記事(女性 路上で刺され死亡)
高尾克也と瀬田浄真の会話音声
線香


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送信済み

私も資料のコピーを見直しているのですが、どうもそれは違うように思います。

高尾

あなたが挙げてくれた3つの資料を確認しました。
何度も考えた末、今ようやく理解ができたところです。
増山昭江は供述の中で、『因業不滅』という言葉を口にしている。しかしその言葉は『鈴を聴く会』の最後に浄真が話したものであり、途中で部屋に戻った彼女は聞いていないはず。
ではどうして増山昭江は『因業不滅』という言葉を知っていたのか。
彼女は『因業不滅』という言葉を、聞いたのではなく、見たのですね。
三垣宗純の殺害現場で、その文字が浮き出た状態の線香を、彼女は目にしていた。

私はこれから増山昭江のもとへ向かいます。
結果については、すぐにご報告させていただきます。

高尾

最後の封筒Dを開封し、ニュース映像をご確認ください。

まず最初に、謝らせてください。

あなたにずっと嘘をついていることが、ひとつあります。
それは、捜査資料の中にある、殺害現場に落ちていた写真についてです。
山梨県警の高尾さんから受け取った捜査資料を確認したとき、そこに入っていたあの写真を見て私は心底驚きました。ベンチに座っている子供が、幼いときの自分とそっくりだったからです。

埼玉県の青光園という児童養護施設で暮らしていた頃で、大好きだったキツネのキャップとぬいぐるみも、よく憶えています。後ろに写っているのは園の友達と先生で、近くにある公園でサッカーをして遊んでいたときに撮られたものだと思います。高岡くん(こっちを向いている男の子です)という、いつも私に優しくしてくれた子が、いっしょにやらないかと誘ってくれたのですが、私はとても引っ込みじあんだったので、どうしても仲間に入れず、一人ぽつんとベンチに座っていました。
どうしてその写真が、三垣宗純さんの殺害現場に落ちていたのか。何かの間違いだとしても、いったいどんな間違いなのか、私には想像もつきませんでした。困惑し、何度も写真を見直しているうちに、ベンチに座っているのが本当に自分なのかどうかも、だんだんと自信が持てなくなってきました。

あなたのお力をお借りしようと決心したのは、そのときのことです。
あの未解決事件の謎を解明してもらいたい。
そして私自身に関する謎も、あなたの能力で、どうか解いてもらいたい。

私があの写真に固執したのも、そこに理由がありました。これまでお話しすることができなかったことを、本当に申し訳なく思います。
あなたが捜査を引き受け、あの写真が撮られた年を特定してくれたとき、私は確信しました。ベンチに座っているのはたしかに私であり、三垣宗純さんが日記に書いていた「あの子」というのも、私のことだったのだと。
私はずっと、自分の両親が誰なのかを知らずに生きてきました。どうして児童養護施設に引き取られたのかも聞かされていません。でも、もしかして私の父親は、殺された三垣宗純さんなのではないか。そう考えると、三垣宗純さんが書いた日記の意味や、彼が幼い頃の私の写真を持っていた理由が理解できます。

では、母親はいったい誰なのか。
それについて私は、自分だけができる方法で調べることにしました。
懐かしい青光園を訪ね、私が入園した頃の資料を見せてもらったのです。
すると、ある新聞記事が出てきました。1978年12月26日、埼玉日報の記事で、妊婦の自殺未遂と行方不明を報じているものでした。
私の誕生日は12月26日だと、物心ついたときに青光園で教えられました。しかし、その日にどこでどうやって産まれたのかは、それまで知らずに生きてきました。でも、この新聞記事に書かれている「赤ん坊」というのが私であれば、まさに誕生日は12月26日ということになります。
記事の最後には「鈴のついた小仏」という言葉が書かれていました。それを見て私がどれだけ驚いたことか、ご想像いただけるかと思います。

三垣宗純さんが殺害されたとき、増山昭江さんが持っていた小仏。そして、殺害現場に落ちていた小さな鈴。彼女は警察の取り調べで、小仏に鈴などついていなかったと言っていたけれど、本当は鈴がついていたのではないか。いつのまにかそれが消えていたから、殺害現場に落としてしまった可能性を考え、嘘をついたのではないか。
そうなると、増山昭江さんが三垣宗純さんを殺した犯人ということになります。

そして、1978年の新聞記事に書かれている妊婦が増山昭江さんだとすると、彼女こそが私の母親であり、あの殺人事件では、私の母親が父親を殺したということになってしまいます。 もちろん確信などありません。

私はこれから、増山昭江さん本人に会ってきます。1978年の新聞記事を見せ、鈴がついた小仏のことを話し、彼女を三垣宗純さん殺害事件の犯人として告発してくるつもりです。自分の出自などについては伏せたまま、相手がどう反応するかを、この目でしっかり見ようと思っています。

結果はもちろん、帰宅したらすぐにあなたにご報告します。自宅のそばまで戻ったら、このメッセージへのパスワードをあなたにお伝えするつもりなので、いまこれを読んでくれているということは、もうすぐですね。

これからどうなるのか、私にはまったくわかりません。
怖くて、でも、楽しみです。私は一人の人間であると同時に、やっぱりノンフィクションライターなのだなと、あらためて思います。

この事件を解決に導けた暁には、是非あなたに直接お目にかかってお礼を言わせてください。そのときには、わたし自身に関する謎も解けているのかもしれません。そう考えると、やはりとても怖いのですが、生きていくのに勇気が必要だということは、子供時代から充分すぎるほどわかっています。
では、また後ほど。


立花未知留



Fin

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